Nao N.の雑記

いろいろなことを記事にして投稿しています。また、同じミスをしないための備忘録としても使っています。ニキ(ソーシャルゲーム)とパソコン関係が多めです。コメントはTwitter(@naon4nws)へお願いします。

家族の病気

子宮体がん

私の母は55歳頃に子宮体がんに罹りました。
健康診断で見つかったそうです。
ステージIIでリンパへの転移はなかったそうです。

母は、子宮および卵巣の全摘出を選択しました。
手術は内視鏡手術で行いました。

手術は成功。
念のため、股のリンパ節も摘出しました。
抗がん剤治療や放射線治療はありませんでした。

腹部の手術ということで、しばらく口からの食事はできず、
栄養剤の点滴のみでした。

母は段々と空腹に耐えかねて、
「食事はまだ食べられないんですか?」と聞いたそうです。
そうしたら、予定より少し早めに食事が口から摂れるようになったそうです。

術後の経過も順調で、元気な入院患者をしていたそうです。
母は、テレビを見るのが大好きな人なので、テレビを見て過ごしていたそうです。

術後は1年ごとに検診に行っていました。
手術から5年後の検診で、特に異常はありませんでした。
これで、がんが完治したと言えます。
5年後の検診が終わった後も、母は継続して年1度がん検診に行っています。

ちなみに、私は、母の手術には立ち会えませんでした……。
遠方で独り暮らしをしていたので……。
がんだという連絡も、手術する連絡とかも一切ありませんでした……。

余談ですが、同じ病棟のがん患者が、手術前の自己輸血用献血をした後、
病状が悪化して亡くなったそうです。

この話を聞いて、私の自分の手術の時に自己輸血用献血しなくて
良かったと思いました。
主治医からは勧められたのですが。

さらに余談ですが、母は、手術後、会社を早期退職制度を使って退職しました。


続きを読む

食道がん

父が脳出血で倒れて約2年後、父に食道がんが見つかりました。

手術は近所の入院施設のあるクリニックでしました。
本来なら症例数の多い大病院でした方がいいのでしょうが……。
家族の近くが良いという本人の希望で、近所のクリニックで手術をしました。

私は手術には立ち会えませんでした。
(実家から遠方で独り暮らしをしていたので。)

手術は一応、成功したようでした。

退院後、食が細くなりました。
だんだんと身体が細くなっていきました。
それでも、お酒が大好きな人だったので、
お酒だけはよく飲みました。

手術から2年ほどたった頃、微熱が出て体がだるくなり、
とりあえず入院することになりました。

この入院は長期入院になりました。

食事がうまく摂れなくなり、栄養剤の点滴をするようになりました。

入院中に、食道がんが再発しました。
自立呼吸ができなくなり、人工呼吸器をつけることになりました。
移動は車椅子になりました。


このころ、母以外の全員が入院していました。
兄は統合失調症が悪化していた上に膿胸で入院していました。
母は兄の入院に付き添わなければなりませんでした。
私が良性発作性頭位めまい症で検査入院しいていて、退院直後、
兄の病状が悪化し、命の危機だったので、母から帰省するするように言われ、
ふらふらの状態で、兄のお見舞いに行き、
帰りに父のお見舞いに行きました。1泊2日の帰省でした。私はふらふらでした。
このお見舞いが生前の父との最期の面会でした。


私の仕事がひと段落し、遅い夏休みを取ろうとした直前に、
父の訃報が入りました。
急いで帰省しました。
家族は憔悴しきっていて、私は逆に気が張っていて涙も出ませんでした。
疲れ果てた中、家族で葬儀の弔辞の下書きを作りました。
(清書は葬儀会社がしてくれました。)
葬儀は家族葬でした。

通夜と告別式の段階になって、私はわんわん泣きました。

火葬中は心も落ち着き、火葬場にあった漫画を読んで過ごしていました。

火葬後、骨を見て、「骨がもろくなっている所はがんが転移していたんだなぁ」と
冷静な感想をもちました。


続きを読む

脳出血

父は航空自衛官だったのですが、定年退職後、再就職して2年目で、
仕事中に脳出血で倒れました。

原因は恐らく酒の飲み過ぎ。

脳出血で倒れる前年に、私の母方の祖母が亡くなったのですが、
四十九日まで、週1回お経をあげてもらったあと、
毎回、祖母の家で宴会をしていたようで……。

元々、お酒が大好きな人でした。

私はその時、既に実家から遠方で独り暮らしをしていて、
直ぐに駆けつけることはできなかったのですが、
脳出血直後は家族の名前が出てこなかったようです。
左半身麻痺になりました。

杖をつけば歩ける程度にはなりました(リハビリの成果?)。
家は一軒家なのですが、手すりを付ける等の改装をしました。
介護用ベッドを買いました。
車を右半身だけでも運転できるように改造しました。

父は確か週2回リハビリに通っていました。
でも、家でのリハビリには積極的ではありませんでした。
しかし、お酒が絡めば、自力で階段を上って取りに行く、という
ことをするくらい、お酒は相変わらず大好きでした。

このような生活が2年ほど続きました。

食道がんになりました。


続きを読む

統合失調症

私には兄がいるのですが、兄が19歳の時に統合失調症になりました。

統合失調症とは、簡単に説明すると、思考や感情がまとまりにくくなる病気で、
症状が強い時には妄想や幻覚の症状がでます。
およそ100人に1人弱がかかる頻度の高い病気です。
ドーパミンが過剰に出る病気のようです。

発祥の時、「わー!っ」って叫びながら家の中をかけ走っていたのを覚えています。
母が宥めて、3人一緒に寝ました。
(父はその時どこに居たのか、覚えていません。)

最初は都心にある、統合失調症で有名な病院に通院しようとしたのですが、
通院が大変なので、家の近くにある、統合失調症で有名な、入院施設のある病院に
通院することになりました。

その後、母方の祖母の家で療養していました。
通院はどうしていたのかは分かりません……。

症状がある程度落ち着いてから、自宅に戻ってきて、
予備校に通っていたと思います。

その後、大学へ行き、卒業。
大学卒業の後、専門学校にも通っていました。
車の免許も取得しました。

でも、本人に病識が無く、2回ほど症状が悪化し、入院しました。
さらに、アカシジアが頻繁に出るようになって、薬を変えるために入院したこともありました。

現在は、病識もあり、症状も落ち着いており、アカシジアも出ていません。


続きを読む
記事検索
タグ絞り込み検索
livedoor プロフィール
Twitter プロフィール
QRコード
QRコード
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

タグクラウド
スポンサーリンク


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
人気ブログランキング







Amazonライブリンク
楽天市場
  • ライブドアブログ