Nao N.の雑記

いろいろなことを記事にして投稿しています。また、同じミスをしないための備忘録としても使っています。ニキ(ソーシャルゲーム)とパソコン関係が多めです。コメントはTwitter(@naon4nws)へお願いします。

過去の話

部活動

今週のお題「部活動」

 

小学校の高学年の時に何かのクラブに入っていた気がするのですが、忘れました。

文化系なのは覚えているのですが。

 

中学生の時は美術部に入ったけどすぐにやめました。

 

高校の時は漫画研究部でした。

過去のブログ記事に詳細を記載しています。

http://naon56-note.blog.jp/archives/1934238.html

大学の時は何も入っていませんでした。

 

大学院の時も何も入っていませんでした。


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高校の時の話

中学ではいろいろありましたが、無事、第1志望の高校に入学しました。

高校は、1クラス40人前後でした。
高1では、現代文、古文、数学、化学、世界史、英語(という名のリーディング)、
オーラルコミュニケーション(という名の文法)、家庭科、保健、体育、
選択教科(書道、音楽、美術から選択、私は美術を選択)の教科を勉強しました。

テストの結果は、家庭科と保健以外は、下から数えた方が早かったですね。
美術はデッサンの時だけ成績は良かったですが、それ以外は、結構大変で、
正直、音楽を選択すれば良かったと後悔しました。
ピアノを約6年間習っていたので。

家庭科と保健だけは何故か家でほとんど勉強していないはずなのに、
テストで良い点が取れたので、成績は良かったです。
そんなに興味のある授業だったのかな(笑)。

高2から、文系と理系に分かれました。
私は理系に進みました。
私の代から、理系の女子の割合が増えていったようです。
なぜ理系に進んだかというと、理系の方が進学先の選択肢が多そうだったからです。
文系→理系への転進は大変だけど、理系→文系の転進は難しくないと聞いたので。
でも、数学はあまり得意じゃありませんでした。

高2では、現代文、古文、数学、理科(生物と物理から選択、私は物理を選択)、政治経済、地理(日本史と地理の選択だったのですが、日本史の希望者がほとんどおらず、開講されませんでした)、英語、オーラルコミュニケーション、家庭科、保健、体育、美術の強化を勉強しました。
物理はすごく苦手でした。
でも、医療系に進む気が全くなかったので、物理を選択するしかありませんでした。

高2は、途中から登校拒否気味になりました。
理由は今でもはっきりしていないのですが、おそらく、予習ができていない自分に腹が立っていたのと、自分の実直はこんなもんじゃない、と思っていたことが原因じゃないかな、と今では思っています。
正直、出席日数が足りず、各教科の先生から、補習の代わりに課題を出されて、それを提出して、単位にしてもらいました。

高3では、登校拒否が少し直りました。
授業は、現代文、古文、数学、化学、物理、政治経済(倫理は開講されませんでした)、地理、英語、オーラルコミュニケーション、家庭科、保健、体育でした。

なんとか無事に3年間で卒業できました。
そのことに心底ほっとしました。


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小学校と中学校の時の話

もう何十年も前の話ですが(笑)。

小学生の時に(多分5年生)、家庭のお手伝いについての記録を提出する課題があったのですが、
当時の私の家は、お風呂にお湯をためて入るということが滅多になく、
シャワーで済ますことが大半だったのですが、
お手伝いの項目に、「お風呂の掃除をする」という項目を書いて、
週1回で、掃除をしなかった、という結果を書いて提出したんですよね。
そうしたら、それをクラスメイトに見られて、
その日からいじめの対象になったんですよね。
当時はいじめられているという自覚はなかったのですが。
嫌がらせされることが多くて、学校を休みがちになり、
先生と親同士で話し合いがあったそうです。
私は立ち会っていないので、詳しい話は分かりませんが。

そんな状態でしたが、小学生の時は進研ゼミを小4からやっていて、
小学生の間は真面目に取り組んでいたので、成績ははっきり言って
相当良かったです。

そんな私も中学生になれました。

中学1年生の時は、美術部に入ったんですが、すぐに行かなくなりました。
理由は特にないんですけど……。
なんとなく、足が遠のいてしまいました。

ある日、小学生の時からの友達から、靴箱に手紙が入れられていました。
家に帰ってから読むと、
「あなたは人に嫌われていますね!
 自分勝手です!」
というような内容でした。
私は自分の意見を言っているだけのつもりだったのですが。
今風に言うと、空気読めってことだったのでしょうか。
私はいまだに空気読むのは苦手ですが、大人になったので、
さすがに大人の対応はできるようになりました。

中2の時の社会の授業だったと思うんですけど、
自分のお小遣いの使用用途を分ける授業がありました。
そこで、先生は「買ったものを書いて、分類してください」
と言いました。

他の人は、食費とか教育費とか、家計簿かよ、という分類の仕方をしていたのですが、
私は、本当に買ったもの(プレイステーションのメモリーカードとか)を
分類して書きました。
で、先生に当てられて、黒板に書いたんですよね。
そうしたら、その瞬間から、クラスのみんなから、いじられる対象になりました。
先生の言った通りにしただけなのにね。

いじられるのが嫌で、学校を休みがちになりました。

それでも、同じクラスの友達は、私が学校に行った時には仲良くしてくれました。

中学校の修学旅行は東北3県(青森、秋田、岩手)でした。

学校を休みがちで、しかも進研ゼミは継続していたのですが、
進研ゼミも全然やっていませんでしたが、
成績はそれなりに良く、
高校は第1志望の高校に入れました。

第1志望の理由は、当時の学区内で1番偏差値が高かったこと、
水泳の授業が無かったこと、漫画研究部があったことです。


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大学の時の話

私は、第2希望の、自宅から通える私立の大学に進学しました。
第1希望の、自宅から通える国立大学は、当時の私の学力からすると
相当な高望みだったのですが。
国立大学の後期試験は、自宅からは通えない場所にあったのですが、
私立大学に進学を決めたので、後期試験は受験しませんでした。
後期試験の合格発表の後、担任から「残念だったね」と言われましたが、
私は全然残念ではありませんでした。

入学式は普通にスーツで行きました。
入学式の翌日、オリエンテーションがありました。
私の通っていた大学には高校の時のような「クラス」がありました。
(他の大学にも、クラスはあるのでしょうか……?)

クラスでは一人ずつ自己紹介をしました。
私の通っていた学科は2クラスだったのですが、
女性の数が少なく、同じクラスの女子や隣のクラスの女子と
必然的に仲良くなりました。

で、仲良くなった女の子の友達ですが、
 ほぼ全員オタクでした。
でも、外見はかわいらしく、ファッションはCanCamやストリート系
とかいろいろでした。
でも、オタクでした。そして、みんな腐女子でした。

私はオタクな話はしていたのですが、ある日、一番仲の良い友達に突然、
腐女子な会話を振られて、普通に対応してしましました。
なぜ、私が腐女子だとわかったんでしょうか……。
私は腐女子な会話はしていなかったと思うのですが。

女の子だけではなく、男の子とも仲良くなりました。
今でも連絡を取り合っている男の子もいます。
試験の時は、過去問をもらったりしました。
私は代わりといっては何ですが、授業ノートのコピーをあげたりしました。

アルバイトは大学1年生の時だけしていました。
2年生からは学校が忙しくなると思っていたからです。
実際は、それほど忙しくなくて、今思えばアルバイトできたかな、
と思います。
まあ、でも最初のアルバイト先があまり人間関係が良くなかったので
続けなくて良かったと思いますあ。

サークル活動はしていませんでした。
実は、私の所属している学部は、2年生から他の学部と別校舎になるからです。
サークルに通うのが面倒だな、と思って、サークルには入りませんでした。

学業は、教員免許は取らなかったのですが、単位数も十分取り、
成績も、ほぼ全ての科目で、一番上の「優」を取りました。

大学3年の後期から、ゼミが始まりました。
このゼミは卒業論文とは関係ありませんが、必修です。
一番仲の良い友達と、一番人柄が優しそうな教授のゼミを取りました。

大学4年は卒業論文のみでした。
週1回、卒論のゼミがあり、今まで調べた研究内容を発表しました。
このころの私は週1回しか大学に行かず、家で勉強していました。
卒論の内容は、指導教授から十分な評価を頂きました。

大学院の進学試験は、第1志望は落ち、第2志望に合格しました。

卒業式では、自分の手持ちの着物に袴をレンタルして参加しました。
謝恩会は友達と合わせて、チャイナドレス(安物)で参加しました。
男の子にすごい声をかけられました(笑)。


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高校の部活の話

私は、高校3年間、漫画研究部に所属していました。

漫画研究部と言っても、漫画の論評をするわけではなく、
普段は週1回おしゃべりして、月1回部誌を発行していました。
部員は毎年2~3人程度でした。

部誌の内容はイラストだったりエッセイ漫画だったり、いろいろです。
絵の上手い下手もいろいろです。
部員の部外のお友達も原稿を寄稿したりしていました。
部誌は基本的に部員+寄稿者+部室保管用のみの発行でした。

学校の文化祭では部誌を配布していました。
最初は無料で配布していたのですが、無料配布だと
読んだ後、その辺に捨てたりする人がいたので、
有料配布(当時は100円)に変更しました。

また、文化祭では、部員が持ち寄ったアニメのポスターを無料配布したり、
部員たちが描いたイラストボードを100円で販売したりしていました」。

そんな漫画研究部ですが、年1回、大きな大会がありました。
それは「まんが甲子園」です。

 

まんが甲子園 - Wikipedia


一度だけ、三菱電機賞を受賞しました。

まんが甲子園の時期は、出場権を得るための課題の提出があり、
ネタ出しに一番時間がかかりました。
ネタ出しの時期には、顧問の先生以外にも漫画が好きな先生にネタを見てもらって
アドバイスをもらったりしていました。
ネタが確定した後は、原稿作成は順調に進みました。

私はネタは採用されたことはあるのですが、まんが甲子園本選のある高知には
行けませんでした。

3年生引退後、私は部長になりました。
私の代は、私を含めて2名だったのですが、もう一人がいわゆる不思議ちゃんだったため、
否応なしに、部長になる羽目になりました。
そういう器ではないのですが……。

高校2年の後半からメンタル面の不調で学校を休みがちになり、
後で知ったのですが、後輩から不信感を抱かれていたようです。

私の代でのまんが甲子園予選の時に、私の今までの言動が原因で、
後輩達と亀裂が入りました。

なんとかしようと、後輩達にメモに私の意見を書いたうえで、
そのメモを渡して、意見を書いてもらいました。
ショックなことばかりが書いてありました。

私の代のもう一人の子が、一つ上の代の部長に連絡し、学校に来ました。

先代の部長から一言、「まんが甲子園行きたくないの?」
行きたいに決まっています。

先代の部長が他の子達と何か会話したのかは分かりませんが、
なんとなく解決はしました。
ぎすぎすした空気は残ったまま。

その年はまんが甲子園の本選には行けませんでした。

私の漫画研究部生活はこれで終わりました。
それでも、卒業式の時には、プレゼントや色紙を頂きました。


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